ニューヨーク・ヤンキースと私:期待と不安に満ちたシーズン開幕
ニューヨーク・ヤンキースとの出会い
私とニューヨーク・ヤンキースの出会いは1998/8/9である。
夏休みにニューヨーク旅行をして、今は解体されてしまった昔のヤンキー・スタジアムで真夏のデイゲームを観戦した。もともと気になっていたチームだったけれど、実際の試合を見てすっかりファンになってしまった。
この当時はまだ「ブログ」というシステムがなく、「ブログ」のようなものをウェブ(当時の呼び方だと「ホームページ」の方がしっくりくる)に掲載していた。ヤンキースとの出会いの日にちを特定できるのは、「ブログ」を続けていたからだ。たまには「ブログ」も役に立つこともある。
http://yagian.html.xdomain.jp/diary/9808.htm#19980809
「ニュー・ダイナスティ」時代のヤンキース
この1990年代後半のヤンキースは実にすばらしいチームだった。
1995年に、マリアーノ・リベラ、アンディ・ペティート、デレク・ジーターというその後十数年にわたってヤンキースを支える生え抜きの中心選手たちがデビューする。そして、1996年に18年ぶりにワールド・シリーズで優勝する。その後、1998年から2000年にかけてワールド・シリーズで三連覇する。
いまから振り返ってみると、1998/8/9のヤンキースはすばらしいメンバーだった。先発ピッチャーがペティート、クローザーとしてリベラがでてきた。中堅選手としてバーニー・ウィリアムスがおり、3年目のジーターはすでにスターになっていた。生きのいい若手、中堅を、ポール・オニール、ティノ・マルティネス、チャック・ノブロック、ジョー・ジラルディといったベテランが支え、絶妙なバランスだった。
その時期のヤンキースの魅力について、英語のブログに書いたことがある。その部分を和訳してみようと思う。
1990年代のニューヨーク・ヤンキースを愛していた。彼らは、スマートでクールな野球をやっていた。マッチョなパワー・ヒッターいなかったが、選手はみなチームの勝利に献身していた。身勝手なプレイをする選手はいなかった。
大きなリードで勝つことは少なく、試合の終盤に逆転してわずかなリードで勝つことが多かった。彼らのゲームは緊張にみちあふれ、じつに楽しかった。
ある晴れた日に、ヤンキー・スタジアムのシートに座っていた。そのゲームではアンディ・ペティートが先発した。最初はロイヤルズがヤンキースをリードしていたけれど、デレク・ジーター、ポール・オニール、バーニー・ウィリアムスがロイヤルズのピッチャーを打ち崩し、試合を逆転した。最後はマリアーノ・リベラが締めくくった。ヤンキース・ファンにとって最高に完璧な試合だった。
アンディ、デレク、マリアーノは若く、輝いていた。バーニーは黄金期だった。
ヤンキースのこの時代は「ニュー・ダイナスティ(新ヤンキース王朝)」と呼ばれている。
アメリカ同時多発テロ事件とヤンキースの最後の輝き
2001年にアメリカ同時多発テロ事件が起きる。それと軌を一にしてヤンキース苦闘の時代が始まる。
2001年に松井秀喜がヤンキースに入団する。この年、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのワールド・シリーズは第7戦までもつれるが、結局敗退してしまう。この後、ポスト・シーズンの試合には進めるが、ワールド・シリーズに勝つことができない時代が続く。
1990年代後半には当たり前のようにワールド・シリーズを勝っていたから、当然、この時期もそのことを期待される。毎年のようにベテランのフリーエージェントを補強することを繰り返すうちに、徐々にチームが擦り切れていく。
2009年に久しぶりにワールド・シリーズに勝つ。松井秀喜のヤンキースでの最後のシーズンであり、ワールド・シリーズMVPになった年である。これがヤンキースの最後の輝きだった。
そしてヤンキース転落の時代
その後、ヤンキースの成績は下降線をたどる。
コア・フォーと呼ばれた「ニュー・ダイナスティ」を支えた生え抜きの選手たち、ジーター、リベラ、ペティート、ポサダがチームを離れ、引退していく。その年の最大の話題が彼らの引退に占められてしまう。チームの高齢化は進むばかりで、将来の希望が見えない時期が続く。
この時期のヤンキースを悪い意味で代表するのが、アレックス・ロドリゲスである。彼は、ファンのフラストレーションを一身に受けていたようなところがある。しかし、彼は、「ニュー・ダイナスティ」時代のヤンキースの美点、献身、緊張、逆転、若さといった要素からことごとく遠かった。また、彼の長期契約と高額のサラリーがチーム再建の障害になっていたのも事実である。
ベイビー・ボンバーズと期待と不安
しかし、アレックス・ロドリゲスの引退とともにすべての歯車は逆転をし始める。
昨シーズンの後半、アレックス・ロドリゲスの引退が決まると同時に、ベテランを大胆に放出し、プロスペクト(有望新人)を貪欲に獲得するようになった。スターティング・ラインナップは一新される。そのなかで、ベイビー・ボンバーズと呼ばれる若手選手たち、特に、ゲイリー・サンチェスがシーズン後半だけで20本のホームランを打って、一気にスターとなる。ベテランのマット・ホリデーを獲得し、彼は「ニュー・ダイナスティ」時代のチームの精神的支柱だったポール・オニールに重ね合わさる。
これまでの淀んだ雰囲気が一掃され、今年のスプリング・トレーニングは期待に満ちたもので、しかも各選手の仕上りは順調すぎるほど順調だった。特に印象的だったのは、ポッドキャストで聞いたファンとブライアン・キャッシュマンGMとのやり取りだった。スプリング・トレーニング中のファンに対するイベントで、キャッシュマンへの質問コーナーのことだった。ファンと言っても、選手や監督ではなく、GMに質問したいと思うぐらいだから相当濃い人たちばかりである。その彼らが一様に2016年後半以降のキャッシュマンの仕事に全面的に感謝しているのである。その気持は痛いほどよくわかる。2009年以降、希望というものがまるで見えない時期が続いていたが、それが一気に払拭されたのだから。
しかし、スプリング・トレーニングが順調すぎると、期待とともに不安も湧いてくる。案の定、開幕3試合が経過して、ヤンキースの弱点が露呈する結果になっている。
まず、先発投手の不安。最も信頼できるはずの田中将大が短いイニングでノックアウトされる。サバシアはまずまずのピッチングだったが5回で交替し、今後長いイニングが投げられるか不安を残した。そして、第3戦でピネダもノックアウト。四番手以降の先発は固定できない状態だ。田中の復調と若手の台頭が必須である。
ベイビー・ボンバーズの若さゆえの脆さも露呈している。スプリング・トレーニングで好調だったゲイリー・サンチェスとグレッグ・バードが不振に陥っている。打てないことはしかたないとしても、淡白な打撃が気になる。まだ、ポスト・シーズンのような緊張感があるところで真価は問われていないから、どこまで勝負強さがあるかが未知数である。
とはいえ、いままでは「伸びしろ」がまったく見えなかったメンバーだったけれど、今は「伸びしろ」ばかりの選手が集まっている。あとこれから5年ぐらいは彼らの成長を見ることで十分楽しめるはずだ。