検閲の内面化と表現の自由
ここ半年ちょっとHelloTalkというlanguage exchange用のアプリを使っている。
自分はHelloTalkに日本語ネイティブの中国語と英語の学習者として登録している。中国語ネイティブと英語ネイティブの日本語学習者の書く日本語の作文を添削し、代わりに自分の中国語と英語の作文をそれぞれのネイティブに添削してもらっている。
以前、Lang-8というやはりlanguage exchange用のサイトで英語の作文を書いていた時期があった。英語の作文能力の向上にかなり効果があった。今回は中国語を中心として書いているが、かなり手応えを感じている。中国語のwritingのレベルアップには明らかに効果があるし、speakingにも好影響がある。また、中国語のレッスンの先生がHelloTalkの作文を見ていてくれて、レッスンでの話題に取り上げてくれる。自分で書いた作文をテーマとしてフリートークをすると、話しやすいこともあるし、新しい表現の記憶への定着も進む。
ということで、language exchangeは中国語学習においてはかなり効果的であるが、一つ大きな問題に直面している。
HalloTalkというアプリは中国製である。このため、HelloTalkには中国のSNSで標準的な検閲が行われている。HelloTalkで書き始めた時は、天気が良かった悪かった、体調が良かった悪かった、趣味はゴルフです、こんなおいしいものを食べた、程度の話題で、検閲に引っかかることもなかったのだが、writingの能力がレベルアップするにつれて、自己表現としてもうちょっと複雑な内容を書きたくなってくる。その結果、検閲に引っかかるようになった。
以前、中国のブログサービスを使って中国語の日記を書いていたことがあった。このサービスも検閲制度があり、検閲に引っかかる内容の時はアップロードできなくなるという仕様だった。HelloTalkでは、アップロードできるものの、他人からは見えていないという仕様のようだ。HelloTalkにアップロードすると、普通は「いいね」がついたり、添削してもらえたりする。しかし、他者からの反応がまったくないので、何かがおかしいということに気がつく。そして、どうやら他の人からは見えていないらしいということがわかる。
中国でも統一された検閲基準、検閲方法があるわけでもないらしい。同じ文章がWeChatのmomentに投稿でき、他の人からも見えているようだ。また、どのような検閲基準があるかはユーザーからはまったくわからない。
最初は検閲されること自体がめずらしく新鮮だったし、どうやって検閲を回避できるか婉曲な表現を考えるのもおもしろかった。しかし、時間や精神的な余裕がないとそういう工夫をするのも面倒臭く、純粋に書く気が失せるし、そもそも検閲に引っかかりそうな話題を避けるようになる。
中国の検閲方法は、ある意味効果的で洗練されていると思う。日本の戦前の検閲方法では、伏せ字という方法が使われていた。この方法であれば、どこか検閲されたかが著者にも読者にもわかる。著者も検閲の基準が理解できるし、読者もどのような表現が含まれていたのかを推測することができる。
一方、江藤淳が指摘する太平洋戦争後の進駐軍による検閲では、検閲制度が存在すること自体が秘密とされており、検閲された結果の文章からは検閲されたかどうかがわからない。その結果、筆者側は、そもそも検閲されて削除されてしまうのであればそのようなことを書くことを自ら避ける自己検閲がされるようになり、さらに、進駐軍が去った後も内面化された自己検閲が継続していったと指摘している。この検閲の内面化は、フーコーが「監獄の誕生」で指摘したプロセスそのものである。
HelloTalkの検閲で、そもそも検閲されそうなことを書く気が失せる。これは検閲の内面化プロセスそのものである。書かせたくないことを外部からいちいちチェックするよりは、はじめから書く気を失わせ、検閲を内面化させる方が明らかに効率的だ。そして、何が検閲されるかわからず、検閲された結果も分かりにくいという中国の検閲制度は、効果的に検閲を内面化させる。
こういう中国のインターネットの言語空間に生きていると、検閲されるような話題はそもそも避けるようになるし、抑圧感も強いだろうと思う。台湾や香港と比べると大陸中国の現代の文化にはあまり共感できないのだが、この検閲制度による自己表現の抑圧の文化への影響は強いと思う。
日本にも江藤淳が指摘するようにすでに半ば無意識になっている内面化された検閲はいろいろあると思う。しかし、中国の組織的な検閲されたインターネットの言語空間よりははるかに自由だ。その抑圧された言語空間の一端を経験し、その抑圧感にうんざりすると、自由な言語空間の貴重さがより深く感じられる。
香港の言語空間が抑圧されつつある。おそらく、以前のように香港発のポップカルチャーはもう生まれないのではないかと思う。そう考えると、一党独裁から民主化を成し遂げた台湾は、中華世界、東アジアの中で貴重な存在だと思う。
今回の参議院選挙を見ていると、自由主義を表立って主張する政党がないことは危惧を覚える。反中、嫌中の立場の人たちが、必ずしも言論の自由を重視していないように見えるのはどうしたことだろうか。世界的に自由主義がさまざまな挑戦を受けている現在、言論の自由を守り高めていくことが重要だと思う。最近、自由主義の立場から第二次世界大戦中にコミュニズムとファシズムを批判したハイエクの「隷属への道」を読んだところだが、しっかり自由主義を主張する政党が出てきてほしい。