新潟県中越地震

昨日の夕方、家のパソコンに向かっていると、カタカタカタという初期微動を感じた。その数秒後に、大きな揺れがやってきた。部屋には、コクヨ製のスチールの本棚が置いてあるが、本が飛び出すことはなかったけれども、本棚は全体はゆさゆさと揺れ、ゆがんでいた。初期微動がしばらくあったから、離れたところの地震だろうと思った。もし、大きな余震があったとしても、東京の直下型ではないから、この家は大丈夫だろうと安心したけれど、東京でこれだけ揺れるのだから震源の近くでは大きな地震かもしれないと思った。
とりあえず揺れが収まったところでテレビをつけると、震源は新潟だという。テレビを付けっぱなしにしていると、そのあと30分おきぐらいに地震があった。テレビ東京は別として、ほかのテレビ局はNHK、民放も含めて地震に関する情報を伝える番組に切り替わった。災害にそなえてマニュアルがあって準備をしているのだろうけれど、迅速な切り替えはたいしたものだと思う。最初のうちは情報も乏しく、現地のテレビ局周辺の映像を繰り返し放映していた。しばらくして、上越新幹線が脱線して列車が止まっているというニュースが入ってきた。
以前も日記に書いたことがあったけれど、阪神淡路大震災のときは、出張先の宿屋で見た早朝のニュースで地震の発生を知った。最初は、大きな地震だということだけはわかったけれども、なかなか情報があつまらず、あれほどの大きな被害があったとは想像もしなかった。しばらくすると、ヘリコプターからの空撮の映像を見ると、いろいろなところから煙が立つのが見え、火事がどんどん広がっており、重大さがわかってきた。
朝起きると、冷え込んでいた。クローゼットからフリースのジャケットを引っ張り出し、パジャマの上にはおった。新潟も明け方近くは寒かったのだろうと思う。もっとも、地震が先週の台風と重なるよりは、また、もっと寒くなってから起きるよりはよかったかもしれない。
つれあいとあわてて緊急時の持ち出し袋をチェックしてみたところ、水と緊急時用の食料の賞味期限が切れていた。食料、水、ラジオ、懐中電灯、電池その他、買い直すことにした。
今回の地震でも、今年の台風の災害でも、逃げ出すことができなかった高齢者の被害が多かった。自分たちは逃げ出すことができたとしても、親たちは大丈夫だろうか、準備はできているだおるか気になってきた。緊急避難場所ぐらいは確認しておかなければ。