親の心子知らず
- 作者: 金谷治訳注
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1999/11/16
- メディア: 文庫
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百代の過客―日記にみる日本人 (下) (朝日選書 (260))
- 作者: ドナルド・キーン,金関寿夫
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1984/08
- メディア: 単行本
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しばらく前のエントリー(id:yagian:20080112)で、釈迦の教えの厳しさのあまりに弟子はその教えを薄めたということを書いた。釈迦の教えを素直に受け取れば、仏舎利や仏像などは無意味ということになるだろう。しかし、釈迦の弟子たちは、教えの薄め、教えになかったものを付け加え、仏教という宗教を作り上げた。確かに、釈迦の教えそのままでは、一般の人には厳しすぎて布教ははかどらなかったかもしれない。しかし、釈迦の教えをねじ曲げることは、厳しい言い方をすれば、釈迦への裏切りだったと思う。釈迦その人は仏教徒ではなく、仏教徒は釈迦の心がわかっていないのではないかと思う。
同じことは、イエス・キリストにも、孔子にもあるかと思う。福音書はイエスへの弟子たちの裏切りがテーマとも言える。論語を読めば、今に伝わる儒教と孔子その人とがかけ離れていることがわかる。特に、朱子学はもはや孔子の教えからはほど遠くなっている。孔子の教えに戻ろうとする古学の運動が起こった理由もよくわかる。
古学の批判の対象になったのは、林羅山に始まる江戸幕府が公認する官学の流れである。現代では、古学のなかに近代性を見いだし、官学、朱子学は固陋な学問であり、林羅山には肯定的な印象はほとんどないと言っていいだろう。しかし、「百代の過客」に紹介されている「戴恩記」という日記には、それとは違う林羅山が描かれている。「戴恩記」を書いた松永貞徳という歌人は、林羅山の友人だった。
……すでに数年間儒学書をひもといていた羅山は、それに基づく己の解釈を、友を集めて講釈することにしたという。そのいわば見返りとして、貞徳も、『徒然草』の講義をせよと頼まれる。彼は初め、自分が個人的に受けた教えについて公衆の面前で講釈するという、あまり先例を見ぬ行為を引き受けることに気が進まなかった。だが結局口説き落とされて承知する。
師弟関係で伝授されてきた学問を、林羅山はオープンに講釈し議論するということを始め、さらに、友人にも講義することを依頼している。官学は古学から批判されるように固陋になってしまったけれども、林羅山は進取の精神の持ち主だったということだ。ここでも、師の精神は伝わっていなかったようだ。