自分と折り合いをつける

今週は低空だけれども墜落はせずに水平飛行を続けている。
低空飛行のときは、音楽を聴いたり、本を読んだり、運動したりすることができなくなるので、ウェブログのネタが内省的になる。
今日は、昨日の流れで、どうやってうつ病である自分との折り合いをつけるのか、という話題について書いてみたい。
自分と折り合いとつけるという視点から見ると、うつ病と老いというのは似ているように思う。
うつ病になると、いろいろなことができなくなり、断念しなければならなくなる。仕事でもできることが限られてしまうから、野望があってもあきらめなければならなくなる。趣味も、すぐに疲れて根気が続かなくなるから、だいそれたことはできない。そんな自分と折り合いをつけることができないと、いちいちいらだつことになる。
老いも似ているのではないだろうか。年をとるにつれて、さまざまなことができなくなっていく。それに対してうまく折り合いが付けられないと老いにいらだったり、恐怖を感じたりすることになる。
うつ病や老いと折り合いをつけることは、いろいろなことができなくなる自分をあきらめることだけではないような気もしている。
うつ病になることで、はじめて気がついたことも多いし、学んだこともある。今までは、自己啓発本は食わず嫌いをしていて読んだこともなかったが、うつ病になって気が弱くなったこともあって、いろいろと自己啓発本を読んでみた。たしかに、胡散臭い本もあるけれど、大いに参考になるものもあった。これもうつ病の効用のひとつだと思う。
うつ病になる前も、そのときのハードワークな仕事のやり方が永遠に続けられるとは思っていなかった。どこかで方向転換をしなければならないことはわかっていた。しかし、惰性で進んでいて、自分の力では方向転換ができなかった。うつ病になることで、ハードランディングだったけれど、結果的に方向転換をすることができた。
うつ病と折り合いをつけるためには、うつ病になってよかったことも冷静に見てみる必要があるだろう。あきらめなければならないこと、よくないことばかりであるはずがない。
私自身はまだ老いの問題に直面したとはいえないけれど、老いもうつ病と同じでふたつの側面があるのだろう。老いと自分と折り合いをつけるには、そのふたつの面をしっかりと見る必要があると思う。