「牯嶺街少年殺人事件」と「三四郎」

このエントリーには「牯嶺街少年殺人事件」の結末に関する記述があります。

台湾巨匠傑作選2018

国語学習のための情報を得るために、神保町の中国語専門書店「内山書店」のTwitterをフォローしている。内山書店は、戦前は上海にもお店があり、魯迅とも縁が深い。

このTwitterで「台湾巨匠傑作選2018 | ケイズシネマ」という台湾の古典的映画の特集上映の情報が流れてきた。侯孝賢の映画は何作か見ているけれど、エドワード・ヤンの映画は気になっていたが、見たことがなかった。最近、映画館に行って映画を見ることに腰が重くなっているのだが、久しぶりに映画館に行ってみる気持ちになった。

本省人外省人

侯孝賢悲情城市」は国民党統治下の本省人の苦難を描いている。本省人とは、戦前から台湾に暮らしていた人々のことである。彼らは日本統治下は日本人に、戦後は、中国からやってきた国民党、外省人の統治下でさまざまな苦難を味わっている。


「悲情城市」(1989) ホウ・シャオシェン A City of Sadness

悲情城市 - Wikipedia

外来の人たちに支配されていた本省人の苦難は、ある意味わかりやすい。支配者側にある外省人にもおそらくさまざまな苦難があったはずだが、本省人の苦難より見えにくい。

エドワード・ヤン「牯嶺街少年殺人事件」は外省人の生活に焦点を当てていると聞き、「悲情城市」と対比しながら見てみようと思った。


映画 『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』 予告編

www.bitters.co.jp

時代の空気を描く

今回公開された「牯嶺街少年殺人事件」は、1960年代初頭に実際に起きた少年が少女を殺した事件をモデルにしているという。主人公が殺人に至るプロセスが映画の中心ではあるものの、それだけに焦点が絞られている訳ではなく、1960年代初頭、国民党による大陸反攻が不可能であることが明らかになってきた頃の、郷里を喪失した外省人とその子供の世代の閉塞感という「時代の空気」そのものが描かれている。

映画は236分あり、メインのプロットとはあまり関係ない場面、とりとめない場面がも多いけれど、それだけの時間をかけて映画を見ることで、ようやくその「時代の空気」が理解できるのかなと感じた。長い映画だったけれど、退屈はしなかった。

「牯嶺街少年殺人事件」と「三四郎

殺人に至る主人公「小四」と殺されるヒロイン「小明」の関係は、夏目漱石三四郎」の「三四郎」と「美禰子」の関係に似ていると思った。

自分の考える女性像を相手の女性に投影し、実際の相手の行動言動が自分の考える女性像に当てはまらないと女性は不可解だと考えてしまう。相手の不可解な行動言動を不道徳な誘惑と考えて矯正しようとする。

三四郎は余裕があるので美禰子のことを不可解と考えるだけで劇的な結末に至らないけれど、小四は自身の生活、精神状態も追い込まれており、自分では小明を保護しているつもりで依存していた。このため、勝手に小明に裏切られたと考え、錯乱しながら彼女を刺殺してしまう。

この映画をみながら、「三四郎」と「美禰子」の関係には、ある種の普遍性があるのかもしれないと思った。