備蓄本

今日は給料日である。
現在、復職後のリハビリということで勤務時間が10:30から15:30の短縮勤務なので、今月の給料はその分少ないから、倹約生活をしている。遊興費のうち、旅行をしなければ、本の購入費がいちばん多い。倹約のため、今月は本を買うのをがまんしている。といっても、読まずにつんだままになっている本は2か月分ぐらいの備蓄量があるから、本が切れて苦しむということはない。たまにはあわてずゆっくり本を読むのもいいかもしれない。
今、若桑みどり天正少年使節について書いた「クアトロ・ラガッツィ」を少しずつ読み進めている。若桑みどりは、もちろん日本の歴史家の著作も目を通しているようだが、主にイエズス会士の記録に基づいて書かれているため、まるで外国人が書いた日本の戦国時代の歴史書を読んでいるような不思議な印象がある。それを楽しむことができれば興味深い本である。
この本のなかで、イエズス会士ヴァリニャーノが書き残した日本人の印象が引用されている。その部分を抜書きしたい。

「ヨーロッパ人と異なって彼らは不平不満を並べないし、窮状を語っても心を動かされない。なぜなら人を訪ねるときに相手の不快の念を起こさせるようなことは言うべきではないと心中で考えているからである。彼らはあらゆる苦しみに耐えることができるし、逆境にさいしても大いなる勇気を示し、苦悩を胸にたたんでおく。そして人と接するときはいつも明るい表情をし、自分の苦労についてはひとこともふれないか、あるいはなにも感じないか、すこしも気にしていないかのうような態度で一笑に付してしまう」(p163)

これは戦国時代の日本人に関する観察だけれども、現代の私にも共通するところがあるように思う。このウェブログで自分のうつ病のことについて書いているけれど、感情の発露になるような主観的な書き方はあまりしたくないと思っている。自分自身のことだが、あくまでもひとつの症例として客観的に例示しようという気持ちがある。これは、ヴァリニャーノが観察した戦国時代の日本人と共通した気持ちがあるからだと思う。
それにしても、このヴァリニャーノという人は、来日した経験はあるが、日本語を話せたわけでもないのに、これだけの鋭い観察ができるとは。優れた伝道師の能力の高さを感じる。