日本文化の家元としての天皇
小谷野敦「天皇制批判の常識」(洋泉社新書)を読んだ。
そのなかに、昔から自分が考えていたこととまったく同じ考えが書かれていたので驚いた。
………天皇制を廃止するといっても、天皇・皇族を国外へ追放するとか、いわんや処刑するとか、そういうことを考えているわけではない。憲法から削除して、法でその地位を定めるのをやめて、京都御所へ帰ってもらい、いわば「最大の家元」として、つまり裏千家とか、そういうものの一種として存続すればよいのである。(p40)
まったくその通りだと思う。
現在の天皇はすべてを犠牲にして象徴天皇という職に殉じている。皇后も様々な困難を乗り越えながら、天皇に最大限の助力をしているように見える。それは尊敬できることではあるけれど、ある特定の血縁に生まれ、また、その人と結婚したことによって、それだけの犠牲を強いるという制度は問題があると思う。
現在の皇太子は、皇太子である以前に、一個人として生きることを望んでいるように見える。愛する人と結婚し、家庭を築き、ごく普通の生活をして、幸福になりたいと。しかし、天皇はそんな皇太子を飽き足らなく思い、将来の天皇のあり方に不安を感じている。
私は、皇太子の方に共感をしている。現代の社会の中で教育を受けて育てば、皇太子のように考えることは当然のことで、国家が法によってそのことを妨げることはあるべき姿ではないと思う。もう、天皇を憲法の縛りから解放してもよいのではないか。日本のナショナリズムは天皇を必要としないまでに成熟していると思う。
京都に行くたびに、天皇は東京よりも京都にいる方がふさわしいと感じる。京都には、天皇家の歴史にかかわりのある寺社も多く、伝統的な文化工芸もある。東京には天皇家の伝統を支える文化が十分に根付いていないように思う。天皇の役割が日本の伝統を継承し、代表することを役割とするならば、そのすみかは京都こそがふさわしい。
だから、天皇制は廃止してあたりまえの個人として生活できるようにして、京都で日本の伝統を守る家元として文化を伝承していってほしいと思う。家元的な存在となった天皇を支援する人たちはいるから、天皇家が存続することはできると思う。
佐々木克「幕末の天皇・明治の天皇」(講談社学芸文庫)に次のように書かれている。
孝明天皇は…一般の人びとの前には、姿をあらわしたことのない<見えない>天皇だった。いっぽう明治天皇は、巡幸や行幸などで、積極的に民衆と接したように<見える>天皇だった。
……
父(孝明天皇)と子(明治天皇)で、なぜこれほどまでに違ったのか。それは幕末と明治では、求められる天皇象が、大きく異なったからである。幕末の朝廷・公家は、姿の見えないことをもって貴いものとしたのにたいして、明治の政府首脳は、そうした公家の考えを、因循の旧弊と切り捨てたのである。
天皇をめぐる制度も時代時代にあわせて大きく変わっている。明治時代に富国強兵を進め、日本のナショナリズムを確立するためには、朝廷の奥にいた孝明天皇とは違う、軍服姿の武人としてその姿を国民に見せる明治天皇が必要だったのだろう。そして、戦後間もない時期には、新たな民主国家としての日本を象徴する存在としての天皇が必要だったのだろう。天皇のあり方は伝統的なようでありながらも、実際には大胆にそして急激に変革されている。
平成の時代が終わるとき、新しい天皇のあり方に変革してもよい時期だと思う。
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